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あふれることばたち

彼らの居場所/MANKAI STAGE『A3!』~AUTUMN 2020~東京公演感想

MANKAI STAGEという名前が大好きです。板の上で満開に咲き誇る彼が、彼らが、好きだから。
ほんと、MANKAI STAGEって名前、天才だよね…………
www.mankai-stage.jp
MANKAI STAGE『A3!』秋組単独公演。
エーステ秋単独、ひとまず東京公演に行ってきました!やっぱりエーステは最高だ!だいすきだ!しあわせだった~~~!!
秋単にもらったエネルギーはすごくて、お仕事のほうもなぜか絶好調です。連続マチソワに飛行機旅に3時間睡眠っていう睡眠不足と疲れを隠しきれないはずなのに絶好調です。秋単パワーすごいよ~~~!!!

秋単独、いい意味で衝撃でした。贔屓目なしにしても春組、夏組の単独公演とは違う。エーステは進化しているのだとたしかに感じました。秋組はいつだって季節の流れに衝撃的な変化、転換点をもたらします。その熱く燃え滾り、鮮やかに色づくきらめきで。

★★全公演終了後の感想はこちら。こっちの方が分かりやすいです。
pimyx.hateblo.jp

原作ファンで万里推し秋組推し、今は水江建太くんを応援している深読み考察厨のおたくによるガチの感想文です。久々にガチに書きます。ぶちかまされたのでぶちかまします。全部書くっきゃないよね!!熱量には熱量で返す!!ほぼ3万字だよ!!これでも削ったよ!!
凱旋と大楽が終わったらまた書くかも。取り急ぎ今の段階で思うことを書き連ねます。書き殴っているだけなのでまとまりはないし秋組のことしか書いていない。他組のみんなの話、だいすきな音楽のこと、単独公演の構造と在り方…まだまだ書き足りないことがたくさんあります。どんどん溢れ出てくる。ぶるすま万里くんのサスペンダー事件(かわいい)(超かわいい)とか音声トラブルにより突如として現れたスコーンの精の話とか100公演目のきらめきの量がすごかったとかの日替わり的感想やはぴはぴぶるすまの話とかたくさんの思い出も書きたかったけれど溢れ出てくるそれらに際限がないのでここでは端折ります。
推しに感受性が振り切った情緒の狂ったおたくの殴り書きなのでぶわ~~って感じの感想文です!大楽後に情緒が落ち着いたらもっと軸のある記事を書けたらいいな!

これだけ長いと当たり前ですがネタバレしています。
自分でも引くほど長ったらしい文章書いてしまったなという自覚はあるので、さすがに壁打ちを超えて人の目に触れることを望んでしまう。
ほんとうに長いので目次をつけます。読みたいところだけ読んでほしいし推しに対する気持ちは読んでほしい、でも恥ずかしいな…(??)

▼舞台化する意味

いきなり推しの話にはなりますが、摂津万里役の水江建太くんがヒプステの時に「"舞台化する意味"を証明したい」と仰っていて、たしかにヒプステはとてもよかったけれど"舞台化する意味"を理解するには至らなかったんですよね(ごめん)なんせ原作のことは舞台化が決まって履修したから、どうしても俳優ありきで見てしまって原作のキャラそのものへの思い入れがない。それにもともと2.5次元を抵抗なく嗜んでいた舞台畑のおたくは、"舞台化する意味"なんて考えたことがなかった。未知の概念を持ち出されて、つくづく推していておもしろいなと思ったわけですが(盲目!)
大好きなエースリーの世界で大好きな秋組の単独公演で大好きな推しの摂津万里くんが生きていて、"舞台化する意味"をすっと理解することができました。ソシャゲの立ち絵とボイスだけでは分からないことってたくさんあった。それは5人が集まったときの光景や視線の交わり、表情や息遣い。この時、こんな顔してたんだなあとか。こんなふうにもがいていたんだなあとか。原作では分からない間を埋めるだけでなく、彼らが見せてくれたのは交わる感情の深み、キャラクター達の人間としての深みでした。
万里くんに関しては、17歳の人間だということを改めて思い出させられました。1幕で臣くんと太一をうまく支えられず十座とぶつかって、悩みもがく万里くんの「リーダーなのに」の湿度がすごい。無味乾燥な人生を生きてきた万里くんが、ですよ?なんかねーーーもうほんと不器用な子すぎていとおしすぎた。左京さん退団騒動で「まさかお前に引き止められるとはな」って言われたときに「別に引き止めてねえし」って返す姿を見てほんと不器用な子……と思い泣きました。そうやって不器用でいられるのも演劇に、秋組に出会ったからなんだなあって思うと涙が出てきちゃって。がんばって生きてる姿に、そしてその結果として見せられるカッコイイ姿に、万里くんはわたしの推しだなと改めて思わされました。そこに推しが生きていた。あの湿度、あの拳、ピースサイン。それらはスマホの画面越しでは分からないことだった。
生きた人間の姿としてキャラクター像が目に見えて分かるのは舞台だからこそです。5人それぞれがどんな顔をしてどんな拳をぶつけ合って、どんなふうに1つの居場所をつくりあげたのか。感情が熱となり肌に伝わる舞台だからこそ、知ることができました。
舞台化する意味はそこにあったんだなあって。知ってしまえば簡単なことだったけれど、秋単独でめちゃめちゃ魅せられたなって思います。

▼単独公演で描かれる"秋組"

幕が上がって、一瞬で、惹き込まれた。

ポートレートは秋組にとってすごくすごくだいじなもの。それはとても、かけがえのない。

「なんでもいい、アツくなれるものを求めていた」

いきなりこのポートレートが始まって、秋の世界に惹き込まれた。
秋組の最初のポートレートのテーマは「後悔」だった。5人それぞれが自らの後悔を「裏切り」「反目し」などと口々に言い表す。彼らはかつてどこか仄暗いところで生きていたのだと思わされる。
だからこそ、この単独公演で5人にとっての秋組がどれほどの存在か、その意味が強調されたと思います。
それぞれが暗がりで生きてきた秋組、彼らは同じ光を目指して進むんだね。

彼らがポートレートを見せ合っているということは、後悔をさらけ出しているということ。それをそのまま受け入れて認め合い、一人一人が後悔を乗り越えるための居場所として秋組というチームは機能している。
彼らは仲良しこよしではないけれど、彼らが彼らでいるために秋組という居場所が絶対に必要なんですよね。しんどいな〜〜〜!エモいな〜〜〜!!
…ということについて実感させられる単独公演だったなあと思います。

A3!の好きなところは誰もが互いのアイデンティティを決して否定しないところです。どんなにぶつかり合っても、好きなものやその人の在り方を決してバカにしない。A3!の世界はやさしさに満ちている。だから大好きなんです。
今回の秋単独では、各々の「後悔」の存在を許しています。後悔なんてするな!ではなく、後悔と「向き合え」と言う。パンフで脚本の亀田さんが「反省はしても後悔はするな!」と格好いいことを言う人がいるけど無理じゃない?と仰っていて、この方がMANKAI STAGE『A3!』の脚本家でよかったーー!と思いました。
楽ですよね。それこそ後悔はするな!なんてよく言いますが、そういうのって首を絞めてるって思うから。そうではなく、いったん受け入れる。そうさせてくれるって、いい意味で力が抜けます。居心地がいい。それって「居場所」だなあって思います。秋組の場合は「向き合う」なところがまた彼ららしい。なにか燻りがあるならぶち壊す!そういうアツさは秋組らしいです。
A3!の魅力はやさしい世界だと思うのですが、秋単独でもそういう部分が描かれていて、春夏秋冬で毛色は違っても根底に流れているものは変わらなくて、大好きな世界だなあと改めて思わされました。

それから。秋組のみなさんはほんとうに不器用な人たちです。だからぶつかり合う。
あまりにも不器用で、けれどお互いが大切だから!なんとかしようともがいてぶつかって。
その姿に溢れかえるほどのいとおしさを感じました。
Brand new worldで他の組が主役の組を称するパートがいつも好きなのですが、秋組は「不器用だけどそれが魅力」と言われていて分かりすぎて好きすぎて胸がいっぱいになりました。Brand new worldは組ごとに異なるパートの歌詞がいつもエモすぎる。

秋組は、やみくもに群れず、個々が物語を突き進む組です。けれどそのために"5人"はかけがえのない大切な居場所なんだよね。不思議なひとたち、それが秋組。そういう部分が可視化されてとてもとてもエモかった秋組単独公演。

「これは俺たち5人がぶつかり合い、成長する物語」
秋組のとてもしんどくてエモーショナルな物語が始まるんだ!と身構えさせられる言葉でした。そんな言葉を推しが担っていて、わたしはしあわせです。

▼死んでも負けねえやつらの話

万里と十座、やっぱりシンメだなあって思いました。秋組のシンメ。
秋組のリーダーは万里ですが、秋組の真ん中に立つのは、二枚看板は万里と十座なんですよね。
ピカレスクはほぼW主演みたいなものでしたし。それに直近だと3周年の各組のイラスト*1が秋組だけセンターを二人が分けてるんですよね。他の組はリーダーがセンターにいるのに。そんなのシンメじゃん…
で、秋単独。スパエモの最後の"エモーション"が万里と十座のパートで二人が背中合わせにセンターに立つの完全にシンメのそれじゃないですか。あれ沸いたよね…ものっっすごい沸いた。
絵的にシンメを感じることの多い二人。でも精神的にも二人は二人であることに大きな意味がある。単独公演では各組にテーマが与えられます。春組は「らしさ」で夏組は「支える」でした。それがリーダー個人にも課せられるのが単独公演の構造でした。秋単独ではそもそもこのテーマがけっこう複雑になっているのですが、第一幕の段階で感じた秋単独のテーマの一つと考えられる「向き合う」がリーダーの万里だけではなく十座にも…というかこのテーマが"万里と十座"に与えられているところにシンメ性を感じました。

で、なにより!この二人のガチの喧嘩が見れてうれしかったな。原作でも常に喧嘩しているけれど、それって子供っぽいものばかりだった。かわいいものです。多少の小競り合い、基本的にはみんな放ったらかしている。ヒートアップする前に太一が止めたり物理的にうるさくなると左京さんが止めたりはしますが、それも一興って感じでした。
ですが今回、ガチの喧嘩が起きた。やばいやつ。他の組のみんなが止めに入った、それってよほどのことだよね。
正直、うれしかったです。こんなの、原作ではそうそう見れそうにないじゃないですか。秋単独で見せてくれてうれしかった。見れると思わなかった。
しかも喧嘩の原因が、「アイツの言うことが全部、」言う通りで図星だったから、という。もういとおしさしかない。万里と十座、お互いをよく見ている。良くも悪くも…というか、すべてを見ているんですよね。万里と十座、互い以上に自分のことを知る人っていないんじゃないかな。そういうことで喧嘩ができるって、やっぱりいい関係だなあと思います。
A3!は3周年を迎えましたが、万里と十座は時々こうしてガチでぶつかり合いながらここまできたのだろうなって思います。舞台はそこを切り抜いてくれた。原作において描かれなかっただけの"たしかにあったこと"を切り抜いて描けるのはこの舞台の魅力かもしれません。
そして、歌!まさかの!またこの二人の歌が聴けるとは思いませんでした。びっくりした。二人とも歌がうまいひとなんだけど、歌い方が全然違うからそれが余計にエモくて。万里くん100公演目の1/25ソワレのときのハモりがすっごくきれいだった。

万里と十座、二人は互いが必要不可欠な存在になっていく。認め合い、背中を預け、高みへと駆けていく。その"二人の道"を見せられました。

第一幕の臣くんの買い物に付きそう二人もたいへんよかったし、第二幕で左京さんの様子を伺う二人が団子になっているの超かわいかったです。あれかわいすぎてびっくりした……ほんとに、ね、死んでも負けねえ二人が好きだな~~!!

▼やさしさと強さ【伏見臣】

やさしく笑う姿が魅力。そんな臣くん。稲垣成弥さんは臣くんにぴったりな人だなあと、バクステ等で彼が笑う姿を見ていつも思っていました。あと、異邦人、ぜったいにしんどいものになる、とも。

臣くんのやさしさがかえってよくない方向にはたらくことになる、それが異邦人のお話でした。というよりも、臣くんのやさしさは何かが欠けていただけなんじゃないかな。だって、やさしさは魅力だから。誰もそれそのものは咎めていない。やさしくあるのをやめろなんて誰も言っていない。必要なのは臣くん自身が過去と「向き合う」ことでした。
その過去とは暴走族時代、狂狼時代のこと。その頃の後輩であるリョウは強かった臣くんの背中をずっと見ていた。
臣くんにはもともとの「強さ」があったから狂狼でいられたんですよね。だからリョウやみんながその背中を慕っていた。同時に、狂狼が強くいられたのは那智やヴォルフのみんながいたから、大好きだったから。もともと持っている強さは仲間がいたから発揮されたし、仲間がいたのは臣くん自身に強さがあったからだと思います。
そんなかつての仲間たちと過ごしていた頃、敵対していたチームとの抗争で亡くなった那智の存在。そこから目を背けていては、きっと臣くん自身の「強さ」は欠けたまま。

原作では那智にボイスがついていましたが、今回は文字だけの演出。声の出演とかないのかな?と思っていたのですが、実際に見たら「死者について最初に忘れるのは"声"だ」ということを思い出しました。那智に、声がないんですよ。影だけなの。その事実がずっしりくる。
しかも那智の影を演じているのが十座役の中村太郎くんなんですよね~~そうくるだろうと思ってはいましたが、いざ見るとかなりしんどい。しかも太郎くん演じる那智の影が底抜けに明るくてカラッとしていて、ああこのひとが那智なんだなって思わされて。それに十座に那智を重ねているからこそ、死んでしまった人の影が"十座である"ことにも声と同様に残された者の記憶の在り方が現れている気がします。あとヴォルフのメンバーの影を秋組キャストが演じていたのもそうとうエモい。かつての仲間、そして今の仲間―…と思わざるを得ない。あと推しのスカジャン姿がよすぎる。似合う、よい。

過去と向き合って狂狼だった頃をなかったことにはせずに糧にした臣くんには「強さ」が再び備わった。そしてそう強くいさせてくれるのは、今は秋組なんですよね。"仲間"っていいな。臣くんにとって"仲間"ってすごくすごく大切だろうな。
強くてやさしい臣くんは最強だ!

第一幕始まってから劇中劇までが全部パッケージだと思っている、とゲネ会見で成弥さんが仰っていました。ほんとうにそうだなあ、と思うのが劇中劇開幕前に円陣を組む時、「その前に…」のところで声のトーンが変わるところ。臣くんが過去と向き合い糧にして覚悟を決めたことをわたしたちはここで実感する。そしてそんな臣くんだからこそのヴォルフにつながる。一幕のストーリーがあって、劇中劇がある。まさに一つのパッケージですね。ここ、ほんとうに好きです。一気に重厚感!

第二幕では、異邦人を超えた臣くんの姿がたくさんあります。いやもう、劇中劇の横田の悪役っぷりが半端ないというのがまさにそう!なんですが、それだけではなく。
たとえば、左京さん退団騒動で万里に対して冗談でもそんなこと言うなと咎める臣くんって異邦人前だと考えられなかったんじゃないかな。秋組のためにちゃんと叱るべきところを叱れるようになったんだなあって、思ったことを面と向かってぐさぐさ言えるようになったんだろうなあって思いました。

臣くん、かっこよかったなーーー!!
秋冬公演のピカレスクのときも思いましたが、成弥さんの臣くんって劇中劇がかっこよすぎてしんどいんですよね……ギャップの権化…やさしくてつよくて板の上ではちゃめちゃにかっこいい臣くん、最高でした。

▼秋組の陽【七尾太一】

秋冬公演のポートレートでとにかく芝居を魅せられた、赤澤遼太郎くんの太一。
今回は準主演として、物語の中だけではなく立ち位置としてもサポート役。自分もうまくいかないことがありながらも健気に努力して、臣くんを支える。太一のこういうことができるところにいちいち場数の違いを感じちゃいます。

見せ場はやっぱり、臣くんと海に行くところ。
普段は「モテたいッスー!」のテンションな太一、原作でも「でさ、臣クン、バイクで行こうよ」のところは意味ありげに言い聞かせるような落ち着いたトーンになりますが、そこが忠実に表現されていて原作ファンは沸きました。
海でのシーンも太一の"光"っぷりがすごい。太一の光って、彼の過去にある「後悔」をぎゅっと心に込めて浄化させたような感じかな~と思います。もちろんもともと持っているものでもあるし、過去ありきでもある。根っからの光属性のそれとは違う、重くて透き通った光。経験値は言葉の重みに繋がる…みたいに言われるけれど、太一の場合は彼の持つ光のあたたかさと強さに繋がっている気がします。
「楽しい思い出」って歌い始めたときの、その歌声があんまりにもきれいでびっくりしました。あんなにきれいな歌声、あるんだね。浄化力がすごい。
旗揚げ公演で太一は臣くんのやさしさに救われたけれど、異邦人では太一が臣くんを救う番だ、ということで。臣くんに必要な太一の姿そのものだなあって遼太郎くんの太一を見ていると思います。秋組の中でああやって"陽"でいるエネルギーは遼太郎くんの熱量があってこそなんじゃないかな。

そして女の子役に悩む太一、ただただかわいくてびっくりしました…(笑)ふつうにかわいい……謎が謎すぎてパンクしそう♪って口ずさんじゃう…
…からの、劇中劇のゼロちゃん。かわいかったー!ヒロイン!おたくが大好きな(?)つよいヒロイン!
オトメディアステミュvol.8で役作りの話をしていましたが、やっぱりすごいな~~って思いました。秋冬公演での衣装の話もありましたが、役作りの徹底っぷりは遼太郎くんがぶっちぎりですごい。パンフの対談でも肩幅を気にしていたけれど、ぜんっっぜん気にならなかったですし。うん、逆に驚くほど気にならなかった。言葉は男勝りだけれど、立ち振舞い、佇まい、そういう意味でのシルエットが完璧に女の子でした。

二幕では秋組における太一の特異な
劇中劇すごかった!児島恭太という名前を刻みつけられました。正直、秋単独を観るまで下の名前を忘れていました…児島恭太という名前をみんなきっと忘れないよね。脳裏に焼き付けられました。観客に名前を覚えさせるお芝居だった、それってすごい。

太一は秋組の光、不可欠な光です。そういさせてくれるのは、かつて太一を受け入れた秋組だからだと思います。

▼黄色いシールを貼ろう【臣と太一】

脚本演出…何から何まで天才すぎた、ここの二人…………
歌になるんだろうなとは思っていましたが、海でのシーンがほんとうに歌になっていて激エモでしたね…わたしはYuさんの音楽がもののふシリーズから大好きなんですが、この二人の曲はとくにYuさんっぽさを感じました。秋冬公演の密くんの曲とか分かりやすいです。耳にするだけで湿った感情が呼び起こされる、否応なしに物語が横たわるエモーショナルな旋律。夜明けの海に、臣くんと太一にぴったりだったな。あー…エモい。この曲のタイトルが「黄色いシールを貼ろう」だったらどうしよう…エモさが爆発する……
そういえば黄色いシールを肉眼で見たときの感慨もひとしおです。めちゃめちゃガン見してしまった。あれニコちゃんマーク?が書かれているんですね~かわいい、いとおしい。

そして写真。
写真、ずるすぎない??!?!?
あれ、あの二人が実際に撮り合っているんでしょう…?パンフにもどこにも書かれていなくったって分かる……
太一の写真が何枚か出たときにみんな笑っちゃうのに、臣くんの写真がパシャリと出た瞬間、あまりのしんどさにみんな息を呑むしかないのもそれはそうだよなあって。頬の傷が写る角度で撮っているのもずるくて。太一の陽気な笑顔に臣くんがつられるようににこにこするのをこうして生で目にすると、こっちも笑いながら泣いちゃう。感情の実体が肌に伝わってくるから、生はやめられないな。エモを浴びることは一種のカタルシスだ。

旗揚げ公演で臣くんのやさしさに救われた太一にとっては、臣くんのやさしさこそ強さだと思っているんじゃないかな。臣くんのやさしさと強さは表裏一体。それを掬い上げられるのは、臣くんを救えるのは、太一だったからだろうな。
この二人のはじまりの物語は旗揚げ公演から第二回公演までがワンセット。わたしは秋単独で初めてエーステに触れるという人に、絶対に秋冬公演を観てと言っています。その理由の一つがここ。
異邦人のこのストーリーを経て、臣くんと太一は互いがかけがえのない存在として"二人"が完成するのだなと思います。

▼劇中劇【異邦人】

ヴォルフがめっっっちゃかっこいい!!ゼロちゃんがちょ〜〜〜かわいい!!ゼロちゃん、最高にヒロインしてたね……

荒廃した、くそったれた世界でヴォルフは金と食料を奪い取り生きていた。必死でただ生きることだけをしていた。必死に生きている。だから"死にたがるヤツが嫌い"なんだ。そんなヴォルフがゼロに出会って、金になるならと用心棒になる。最初はきっとビジネスライクな関係だったけれど、弱いなりにつよく生きようとする明るいゼロと過ごして、次第におさえきれない情が沸いたのだと思う。だからゼロが追手にとらわれたとき、咆哮を上げたんだよね。ヴォルフはゼロと出会って、変わった。
そしてゼロちゃんはヴォルフと出会って、一瞬で"恋に落ちていた"よね。投げつけられたスカーフを大事そうにするゼロちゃん、ぜったいに恋に落ちていた。まちがいなく恋する女の子でした。
近未来SFでの男女の関係を描いていた、異邦人。

ヴォルフとゼロは臣と太一そのものだなって。この二人ってなんやかんや互いに容赦ないんですよね。冗談まじりにけっこう言い合う。たぶん臣も太一も、お互い以上に何でも話せて思うままをぶつけられる相手ってカンパニー内にもいないと思います。きっと互いが唯一無二の存在。
そんな二人の関係性がヴォルフとゼロの小競り合いしつつも大切に想い合う関係に反映しています。
この世界から相手が失われることに恐怖を覚えるほどの。思い合っていることに気づかず、世界から互いを失わないために相手を守るために自分が消えることはいとわない。そんな終わりがなく救いようのない関係性。それを臣と太一が演じている。エモ…そういうの、大好きです。

エーステの劇中劇は原作を超えた解釈が見どころになりつつありますが、今回はナインの在り方がだいぶ深堀りされていました。
ゼロの自由な生き方を支援する、ゼロを救うためにドム様に立ち向かっていく。
ナインがゼロの味方になったことでゼロのヒロイン感が増した気がします。乙女ゲー感(オトメ○トが出してそうなやつ)がすごくなった。あとドム様の異質感もより強調されたかな、と。原作ではヴォルフとゼロVSドム、ジョン、ナインでしたが今回はヴォルフとゼロ、ナインVSドム、ジョンという構図に見えました。ナインがゼロ側についたことでドム様も際立ったな、と贔屓目なりに考えてしまいます。

そしてジョン!カッコよかったーー!!!
劇中劇の十座さんってなんであんなにかっこいいの???ジョンってあんなにかっこよかったっけ?!すきです!
ジョンとヴォルフの殺陣、二人ともタッパがあって、しかもやたら大きな武器だから迫力がすごい。
ジョンもわりと新解釈でした。あんなに楽しそうに闘うんだ…と思いました。さすがドム様の下僕…言葉選び間違ってないよね?!あれはドム様の下僕の戦闘狂…そういえば"ドム様"って呼ぶんだな~ってびっくりしました。ドム様呼びはファンが勝手にしているものだったので…こうやっておたくの脳内にしかなかったものが公式に浮上したとき、ものすごくテンションが上がる。
ちなみにわたしはドムのことをドムくんって呼んでいたのですが水江万里くんのドムを見たらドム様としか呼べなくなりました。

で、ドム様。や〜〜〜〜〜〜〜っっっばい。ヤバ。すごい。すごすぎる。
わたし、異邦人でドム様が出てくるときは絶対にオペラグラスを構えています。オペラ不可避。最前列でも構えました。最前列でオペラはさすがに自分の中でも伝説になりそう。だって、あの表情を一瞬たりとも逃したくなくて目に焼き付けたくて。ドム様固定カメラです。
……………推し、本気出しすぎじゃないですか?!あれが初舞台から2年経ってない人の演技だって信じられる??エーステ秋冬公演からもまだ1年だよ…
イカれてぶっ壊れたマッドサイエンティストという設定ですがほんとうにぶっ飛んでいて半端なくてすごい、やばい。
どうしよう、ドム様の話をしようとすると頭がどろどろに溶けてしまう…最高しか言えない……
いちいち身振り手振りが最高です。ナインに電気を走らせるところの腕から手先にかけての角度が超いい。からの高笑い。よい。映画に出てくるイカれた科学者みたいな。マジで最高。
ナインに出し抜かれて形勢逆転した時の落ち方も小気味よくて立派な悪役のそれでとてもよかった。あの演技が見れてよかったな~~…
あとすぐ人中に触れようとする癖、何?あんな独特な癖を生み出してるの、すごいなあ…

ゼロちゃんに対する変態っぷりがすさまじくてもう最高。ゼロに対する執着こそマッドサイエンティストそのもの。
ヴォルフとジョンがやりあっているときに下手でなんかヤバいことしてるじゃないですか。あれのせいでわたしは下手厨になりそうです。下手で観た人(not万里推し)の感想がおもしろすぎて笑っちゃいました。みんな好き放題言ってる。そうさせる推しがすごくてたいへん誇らしかったです。

ゼロのことを「私の…世界の希望だ」って、"私の"が先にくるんだな~…なんて考えちゃいました。"私"を"世界"に言い換えているんですよね。
これがもしも逆だったら、解釈違いました。「世界の…私の希望だ」だったら自分本位になるから。
ドム様ってやっていることはヤバいですが、彼の望み自体は世界に緑を再生させることで世界を救うことなんですよね。わりとまっとうなの。手段はヤバいけれど目的はまとも。手段がそうとうヤバいけれど。世界を救ってどうするのって疑うレベルだけれど。ドム様に関して、原作でもその部分はけっこうだいじだと思っています。だから今回のドム様、解釈一致でした。イカれてぶっ壊れたマッドサイエンティストだけれど、どこか儚げな余白があってスピンオフ作って欲しい!と思わせてくれる。

異邦人のキャッチコピーはヴォルフの言葉でもある「こんな世界、救う価値もない」ですが、ドム様はその対極にあるんですよね。世界を救う気などないヴォルフの生き様がこの作品では色濃く描かれ、そのアンチテーゼとして世界を救いたいドム様がいる。そこのところ、どこまで解釈しているのかすごくすごく聞きたい。エーステ、そろそろそういうイベントをやってほしいな…

水江万里くんのドム様はけっこうまっとうな生まれのマッドサイエンティストだと思っています。まっとうなマッドサイエンティストって何?!って感じですが、いわゆるしんどさを抱えているタイプのやつ。野望が行き過ぎた結果、ぶっ壊れちゃったやつ。なんかほら…特撮によく出てこない?!ドム様がニチアサ世界にいたらきっと救われたよね?!救われた上で息絶えるんだよね?!
イカれてぶっ壊れてはいるんですが、役者の根底にあるものは隠しきれないと思っていて。お芝居においてキャラと役者のリンク性を重視しているわたしは、摂津万里の根にあるものを世界を救うのだと言うドム様に照らして見ているんですよね。
だからそう、かわいそうなお人だな…とも思って。何があってあんなにイカれちゃったのかなって。ドム様に対して"かわいそう"という感情が沸いてきます。おたくなのでかわいそうなドム様が好きです。
それこそジョンが健気に仕えるだけの背景があるんだろうな~…今回の異邦人ではジョンだけがドム様の味方なんですよね。やっぱりドム様スピンオフ作って欲しいよね?!ほんとうに!特典映像とかでいいので!お願いえらいひと!!

あと個人的には「気持ち悪い(褒め言葉)」という感想が多かったのがうれしかったです。
建太くん、お顔もいいしお芝居もいいけれど、だいたいみんな第一声に「顔がいい」って言っちゃうんですよね。顔がよすぎるせいでまずそっちに目がいっちゃうというか…いやお芝居がどうとかではなく…ほら……(絶妙なニュアンス)
だからファン以外の人にも第一声に「顔がいい」と言わせないお芝居をいつか見せてほしい、と思っていました。それが目に見えて分かるレベルアップの証明になると思うから。そもそもお顔がよすぎるのでそこを超えるということはそれだけのことだから。まさかこんなに早く果たされるなんて。すごいな、さすがだな。成長の速さはあまたの若手俳優の中でもぶっちぎりだと思っています。

▼カンパニーの絶対的存在【古市左京】

左京さんは春夏公演、この世界の物語が始まる最初からずっとこのカンパニーにいます。なんなら初代の頃を知っている。言うなれば"最古参"です。そんな左京さんがついに主演。…と同時に、カンパニーから離れるのでは?騒動が起こる第三回公演。
一幕の幕引きで他の四人の後ろから少し離れて「世話の焼ける奴らだ」とこぼすのが二幕を思うとは~~~…っとなりますよね。あと秋冬公演のOPを思い出さずにはいられない。世話の焼ける奴らだ、と言いながら秋組のことを大切に思っているんですよね。秋冬公演のときよりもその言葉の湿度が違って、時間の経過を感じました。
単独公演のキービジュアルって彼らの関係性をよく表していてしんどいですが、秋単独では左京さんが一番後ろから前を向いているのがあまりにもらしくてしんどかった。それがいい意味での形になるのが第三回公演のストーリーかな、と思います。

四人とすれ違うことに関して年齢や職業を負い目に感じている左京さんに対し、他のメンバーは問題はそこじゃないと思っているんですよね。そういうところが尊いなーって思います。彼らはそんな壁はとっくに超えている、最初からそんなものはない。秋組のそういうところ、好きだな。人間としてぶつかり合おうとしているというか。
演劇をつくるのに年齢や職業なんて関係ないだろと言う天馬に、そんなことは分かっているし問題はそこじゃないと答える万里がいました。じゃあ問題は何なの?っていうと、誰も分からない。
解決の糸口が見えないのは仕方ないとして、この騒動を通して旗揚げ公演と第二回公演を経た秋組の絆の深まりを見せられます。みんなが互いを大切に思っているんだな、という。俺たちに隠し事はなしだろ、とか。そういうところにいちいち尊さを感じた。

秋単独に東さんは不可欠な存在でしたよね。一幕の太一の相談相手としても思いましたが、二幕でよりいっそう感じました。左京さんが"年齢や職業を負い目に感じている"という状況で話し相手になれるのは東さんしかいません。
これまで秋組には左京さんの支えがあってこそといった面がありましたが、今の秋組は左京さんが弱っても、彼を抜きにしても、5人でいようとするパワーが備わっているということを見せつけられた気がします。より強くなった秋組。彼らの絆。

その左京さんですが、年齢や職業を気にするところ、ほんとう人間臭いなって思います。かつて銀泉会に拾われる前、汚い仕事をしていることに後ろめたさを感じていたことも。でもそんなものは関係ないって言ってくれるのが満開カンパニーであり秋組なんです。
うまく言葉にできないですが、古市左京が満開カンパニーに秋組に絶対に不可欠な存在だということは純然たる事実なんですよね。

エーステの古市左京を語る上で藤田玲さんのことを外せないなあとふと思ったのですが(やはりわたしはキャラと役者のリンク性を重視しているので)、オトメディアステミュvol.8で"18年役者をやってきてこんなにガチで面倒を見たのは秋組が初めて"と仰っていて異様な感慨深さがありました。けっこうすごいことじゃないですか…
それと秋組のインタビューだと他の四人は同室組の対談で互いについて話して玲さんは単独で秋組全員について話して…ということが多い。そこでもまた四人を後ろから見ている古市左京を感じるのですが、逆に他の四人が玲さんについて話しているのを見てもまた秋組の輪を感じるというか。このエーステ秋単独第三回公演を思い出します。左京さんはカンパニーにとって絶対的に必要な存在ですが、彼自身にとっては秋組である必要が絶対にあったと思います。

うーーーん…、エーステの古市左京という存在があまりにも大きくて複雑なのにそれはきっとシンプルなもので、わたしの文章力が追いつかないです。
人生のボリュームが桁違いだものね。ただひとつ分かるのは、秋組が左京さんにとって必要不可欠だということです。

▼秋組の熱【兵頭十座】

十座さん!!なんでそんなにかっこいいんですか!!!!!
マジでかっこいい。エーステの十座さん、かっこよすぎて目がくらむ。
太郎くんっていつもにこにこしている印象ですしみんなにわんこって言われている。そういうところが十座の茶目っ気、かわいさに繋がっているのかなーって思います。舞台上で甘いものを食べてる瞬間はないですが、なんか、分かるよね。ステの十座さん半端なくかっこよくてめちゃめちゃかっこいいのでスキが見当たらないですが(盲目)、だからこそ太郎くんが演じている意味、そうとうあるなって。まあそのかっこよさを炸裂させているのは太郎くんなんですが(混乱)

雨が降り出してフライヤーを早く届けなきゃっていうところ、かっこよすぎない?生きてるだけでかっこいいよ……
さて、そんな十座さんですが、今回のピークはきっと「"愛"」でしたよね。あの言い方、解釈大大大正解でした。毎回生きていて。もう何も言うことないや。すきです。

十座が左京さんのことをどこか遠い人だと思っていて組の若頭と流れ者という対等な関係をなかなか表現できなかったのが、左京さんの生い立ちの話を聞くことで同じ人間なんだと気づき対等に芝居をできるようになる…という流れが原作にはありましたが、今回まるまる端折られていた。それはそれとして、十座と左京さんが対等に向き合ってお芝居しているんだなというのは劇中劇を観て肌で感じました。これは言葉には言い表せない部分。
十座と左京さんをひっくるめて秋組全員が同じ場所で芝居をし、生きている。そういうことを二幕ではひしひしと感じました。
エーステって原作以上に1対1の関係性を超えた組としてのまとまり、輪を描こうとしているところがあるなあと思います。

十座って相変わらず秋組の光なんですよね。太一のそれとはまったく別の。光と書いて熱と読む。第六回公演でも言われていますが、それこそが十座の役者としての魅力。
そんな十座からまっすぐに発される言葉が、秋組を救っているなあって思います。一幕で臣くんに「あんたが強くいられた理由を思い出せ」と言うところとか二幕で左京さんに「愛? とか、そういうもんじゃんじゃねぇっすか」と言うところ。十座のそういう純粋な部分、熱が彼らにまっすぐに刺さり、響く。秋組にとって十座の存在はどうしたって特別です。秋組という居場所を無意識に生み出している、そんなパワーがある気がします。

はっきりそういう言葉があるわけでもないのに、セリフの湿度や響きでその事実を肌で感じさせてくれた。なんだかほんとうにうまいなーってつくづく、純粋に、そう思いました。あとやたら歌がうまくてびびる……うまいの一言でした。

▼劇中劇【任侠伝 流れ者銀二】

秋単の銀二が好きすぎて毎日浴びていたい。大好きだ。ちょーーーーかっこいい!秋組はほんとうにハイクオリティだな~って思います。異邦人ももちろんどこを切り取ってもギラギラに輝いていてすごいですが、銀二は冒頭5人の踊りで始まることもあって彼らが組として作り上げた一つの作品というまとまりを感じます。そのまとまりがより磨かれた技術を魅せている。第二回公演から第三回公演へのレベルアップを感じます。
傘の演出は言わずもがな大好きですし、花札の演出もアツい。これが花札ということに東京から帰って母にゲネ映像を見せて言われて気づいたんですが(むかし遊んでいたのに!)、五光札が揃っているんですね。
せっかくなのでそれぞれの札の逸話やキーワードを並べてキャラと重ねて考えてみます!
銀二は【芒に月】8月の札。坊主とも言われる札。十五夜。おそらく花札でもっとも有名な絵柄かな、と。庶民性が高いなあと思います。流れ者の銀二のイメージに近い気がします。種札は雁という渡り鳥。銀二の一所にとどまらない性分に近いかもしれません。
龍田の謙坊は【松に鶴】で1月の札。一年中青く茂る常緑樹の松に長寿の鶴で「不老長寿」を表しています。とにかく縁起がいい。組の(若)頭にぴったりですね。
児島は【桜に幕】3月の札。宴会。お花見の象徴。春のにぎわい。彼の明るさはたしかにこの札が一番ぴったりかも。
横田は【桐に鳳凰】12月の札。天から舞い降りる使者的象徴の鳳凰。伝説の霊鳥。とまるのは桐だけと言われている。12月の札ということで、ピンキリやこれっきりの"きり"=桐。これもまたかなり縁起がよい感じ。個人的には鳳凰のラスボス感(??!)に今作での横田の在り方を重ねてしまいます。
茂木ちゃんは【柳に小野道風】11月の札。書道家小野道風がスランプの際に、雨降る中で何度も失敗しながらも必死に柳につかまろうとする蛙を見て自分はまだ努力不足だと思い直してものすごく努力するようになったという逸話を表しています。なんだかめちゃめちゃに重ねちゃいますね!!は~…この人がこの札なの……
ちなみに素札は「鬼」「雷」が表現されておりあまり縁起はよくないそう。そのあたりも彼の裏切りを思い起こしてしまう。
いや〜〜…深読み考察オタク、さすがに頭を抱えちゃった………

さて、主人公の銀二。いやすっっっっごい。すごい。圧巻だなあ。
すごいものを見せられると何も言えなくなりますね。
劇中劇が始まる前、左京さんが監督と綴、雄三さんにある相談をします。その内容をわたしたち観客は知らされない。だから初見時は何が起こるの…?!ってワクワクしました。あのワクワク感、そしてその正体が分かったときの胸アツ感はあの瞬間だけでした。そういう感覚になれてよかったな、秋単独はやっぱり最高だ。
限界に挑戦する殺陣のシーン。あーーーもう、とにかくすごい。藤田玲さんの命を削りきるお芝居がいいな、とメサイア白銀ノ章で思っていて。白銀を知っているから銀二が楽しみ!みたいなところはあって。期待をはるかに超えるものを見せられました。
四人に背中を見せたかったのだと言う左京さん。第二幕のストーリーがここで完結したように思います。ほんと、エーステは開幕から劇中劇までが一つのパッケージだね。あと何度も言うけれどキャラと役者のリンク性を思うとまたいっそう感慨深くなります。エーステのこの深い構造はほんとうにすごい。
最後の公演曲が流れるところで、児島に傘を差してふたたび拾うシーン、左京さんが銀泉会に拾われた時のことを思い出さずにいられません。非常にエモい。その左京さんはきっと同じように迫田を拾ったんだよね。迫田、あのシーンを観てどう思ったのだろう。

若頭・龍田謙。
めちゃめちゃかっこいいのですが、俺に頭が務まるのかと心配する姿は等身大でよかった。かっこいいかっこいいって言っちゃいますが、それだけではない。
でもやっぱりかっこいいんですよね~!!!最後の銀二VS横田のところに銃を持って現れるの超かっこよかった。
あとあの色鮮やかなド派手スーツが似合うのすごいや……

児島恭太はアニキー!と言うノリがどこかの迫田さんを思い起こしますが、七尾太一演じるアニキー!でした。
児島のあの歌い方、はっちゃけっぷりが癖になります。児島、めちゃめちゃいいキャラしてる…と思わされる。児島のこのキャラがあってこそ後に観客の涙を誘うんですよねえ。なんかそういうこと、原作でも言われていましたね……ほんとうにその通りです。
そしてやはり心を奪われるお芝居をする。あのお芝居を観て、児島恭太という名前を忘れる人はいない。彼の存在はあの物語を浴びたひとすべての心に刻みつけられたと思います。
あと最後に児島と茂木がわちゃわちゃしてるところ、"わたしたちが見たかった二人"すぎる!死に損ない組っていうの?笑 とてもほほえましいです。

そして臣くん演じる横田、はちゃめちゃにかっこよくないですか??!?あれはたしかに異邦人を乗り越えた臣くん。異邦人なしにあの悪役っぷりはない。
タバコ吸ってる姿ちょ〜〜悪かっこいいし、タバコ!タバコの灰!灰を!振りかける!そして灰皿で殴る!ヤバ……
リョウの「見ました?!あのヤクザっぷり!」に「見たーー!」って黄色い歓声を上げそうになりました。
わたしからすれば推しがひどい目に遭っているわけですが、臣くんの横田がとんでもないおかげでものすごい映えてるな〜〜って思います。推しが痛めつけられているのを好んで見たいとかそういうアレはそんなにないのですが、あれほど気持ちよく振り切ってやられると永遠に見ていたくなりますね………灰を振りかけてるのもヤバ…と思ったし灰皿で頭殴られるのなんてシンプルに痛そう。そりゃ致命傷だ。いやほんとエンドレスに再生したい。

そんな推し、茂木ちゃん。ほんとうに好きです。大好き。わたしの好きなキャラどストライクドーンのど真ん中です。推しが推しを演じている!という状況なんですが、これはエーステなので、推しが演じる推しが推しを演じている!みたいな……三重に推し!!なんですよね。好きがあふれる。
ああいうツンとしながらも健気で一人で空回る他人に情を捧げている男が、わたしは好きです。
ぶっちゃけ原作では物語をかき乱す小者という感じでそこまで深く分かりませんでしたが、さすが全キャラを深めるエーステ劇中劇。茂木の新解釈があんまりにも好きでした。おかげさまで、推し!推し!推し!という状況です……しあわせすぎる……
茂木は若頭を狙って下手に動いて結局嵌められるかわいそうな小者…と原作段階では思ってしまいます。でもちがう、それだけではない。ほんとうに難しい役どころだな、と。想像しにくいなあと思っていました。ですが今回の劇中劇"流れ者銀二"を観て、いいところに落とし込んだなあと思いました。そこがわたしのどストライクドーンだったわけですが…
今作の茂木は、組の中でも地位があってけっこう強いんですよね。「坊、組のことはこの茂木におまかせくだせえ」というセリフが見せる情報量はすごい。彼の地位、謙坊への普段の態度、彼が何か企んでいるらしいこと、それに彼の持つ雰囲気、人格。あ、好きだな…ってなりました。同時に別ジャンルの推し(わたしの中での三大推しキャラの一人)(銀○の沖田くんです)(いろいろと違うけど)が頭によぎって、あー…推し……ともなりました。それくらい、とにかくどツボなんですよね。

あの風貌、所作、佇まい。儚くてうつくしくて、強い。大好きだったなあ。永遠に浴びていたい。
強いっていいな。その解釈、好きです。
儚くてうつくしくて。それでいて、ちゃんと強い。でも組を想うがためにつけこまれる弱さがあった。茂木は強くても弱くなきゃいけないキャラで、弱さの理由がそこにあるのはいいなあと思います。

嵌められたらしいことに気づいて横田のもとへ向かうときの茂木のなんとも言えない表情にただの裏切り者ではないということを思い知らされる。はめられた戸惑いと行く先を見失ったことへのおそれ、そういうものに茂木もまた任侠に生きる者だと知らされる。皮肉なものです。まあそこが茂木ちゃんに対するいとおしさ増し増しポイントなんですが…(おたく)あの表情、見るの好きだったなあ…凱旋でもしっかり目に焼き付けたい。

あと謙坊って呼んでるの伝説じゃなかったんだね…?!ジョンのドム様呼びにもびっくりしたのにこっちにもびっくりしちゃった……
謙坊が茂木のことを一目置いているんだなー大事にしてるんだなーっていうのは冒頭から感じました。
でも茂木が謙坊のことを"あんな坊っちゃん"と見下している面はありましたし、きっとそれは事実。でも裏切ったはずの茂木の手当をさせて再び受け入れる姿に頭として再び慕うことを心に決めたのだと思います。原作にあった「俺もきっちりケジメをつけさせてもらいやす」のセリフが消えてますが、どこかに溶け込んでいる気がしてなりません。最後の謙坊に頭を下げる姿、いったいどんな意味があるのだろう。まだまだ解釈深めたいところです。

そしてピカレ以来の跳び蹴り!ものすごく映える。きれい。
劇中での臣くんとの会話通り、万里くん、ほんとうに暴れていた。きれいな暴れっぷりでした。うつくしいひとが一心不乱に空気をかき乱す姿を見るのが大好きです。うん、すき。いやーー…すきだなあ。いちいち刺さる…推し…………推しが演じる推しが推しを演じていて、だいすきで、最高。
第三回公演劇中劇ではとくに、"摂津万里が演じる"茂木だなあって思わされました。

これ、他の四人も同様なんですよね。ああ、この5人が演じているんだな…って肌で実感できた。けっこう、鳥肌が立ちそうなくらい。銀二、ほんとうに好きでした。毎日浴びたいな!

▼劇中劇総評【ちょっと思ったこと】

▽公演曲[Just For Myself/BUZAMA]

公演曲の再現度がすごかった。原作曲の歌い方にものすごく忠実。秋組のみなさんはとにかく歌がうまいのでほんとうにすごい。キャラとして歌っている上に舞台の上で映える声量だから、原作のあの曲を浴びている!と強く感じました。すごかったな~~~すごいしか言えない…
純粋にクオリティの高さを感じさせられる公演曲でした。

▽ドム様とジョン、謙坊と茂木

死んでも負けねえ二人が好きなのでめちゃめちゃに注目していたのですが、だいぶエモいことになっていました。
一幕の異邦人では万里が十座を従えていますが、二幕では立場がきれいに逆転します。あまりにきれいに正反対な役どころになるからエモさを感じた。
ここの二人で衝撃だったのは、やっぱり呼び方かな。ドム様呼びに謙坊呼び。おたくの妄想じゃなかったんだなあって……

一幕の「俺たちで盛り上げるぞ」と二幕の左京さんの背中を見るところ、とてもアツかったですね。万里と十座の死んでも負けねえ関係でありながらともに一つの作品を作り上げる仲間であるという事実を見せつけられました。

そう、おたくとは、分かっていてもいざ示されるとすぐに感動して震える生き物なのです。

▽悪役の在り方

ドム様と横田。全部持っていってしまうのではというほどの気持ちのよい悪役っぷりでした。二人とも悪役として最高だった。
物語を引き立てる悪役って全部持っていくのではないかというほどのぶっ飛んだ演技と倒れるときの小気味よさがセットで大事だと思うのですが、これがほんとうによかった。
悪役のすごみは秋組公演名物なのではとすら思います。

▼雄三さん

「雄三さんなら帰られました。泣き顔を見られたくないって」

支配人のセリフですが、これもともと原作そのままのセリフなんですよね。なのに、すごいなあ…エーステの熱と愛を感じました。
雄三さんに関して、支配人のお芝居がほんとうにすごかった。
あまり多くは語りませんが、舞台全体から様々なものを感じました。みんなの、左京さんの、そして支配人の言葉から。雄三さん、いたね。

▼三重構造

しつこいほどに言いますが、わたしはキャラと役者のリンク性を重視していますし、それが大好物です。
キャスティングには絶対に理由がありその人の根っこを見透かしていると思っているし、その役と重なる部分を探し出すことにおもしろみを感じている。
それこそ推しの話ですが、摂津万里役水江建太ってものすごい奇跡が起きているなあと思っていて。建太くんを推しているわたしはきっとエースリーの世界で摂津万里を推しているわたしとパラレルなんですよね。平行世界にいる同一人物になるんだろうな、っていう。同一視しているわけではないし、違うのは分かっている。それでもそういう感覚になってしまうし、出会えてしあわせだなあって思う。
根っこにあるものが万里そのものだ!と思うのですが、これ、オトメディアステミュvol.8で太郎くんが言っていたこととまんま一緒です。やっぱそうだよね、となりました。
やたらオトメディアステミュvol.8の話をしちゃっていますが、秋単独初日に発売したこの雑誌の記事、すごい。推しの単独公演を観るならあらゆるインタビューや掲載雑誌は絶対に読んだ方がいいです。読まないよりも何倍も楽しめます。それこそキャラと役者のリンク性を重視しているタイプの人はかなり刺さる。

そしてエーステの大きな魅力の一つである劇中劇。演じているのはこちら側の彼らではなくあの世界のキャラクター達です。だからわたしたちが観ているのは、たとえば万里で言えば"水江建太演じる摂津万里が演じるドム"である……という三重構造なんですよね。

観劇しているとその熱量を生で浴びるから言葉に表しにくい感覚に陥ることが多々あって、個人的にすごい瞬間がありました。銀二を観ているとき、ふとその三重構造を感じたんですよね。脈絡なんてなく、突然でした。
龍田謙と風間銀二のあの関係性を演じているのは十座と左京さんというそれこそ歳の離れた二人で、けれど絆を深めた仲間同士。その事実にとどまらず、その十座と左京さんを演じている二人にまで意識が持っていかれました。
なんだか、めちゃめちゃおもしろいなって!その瞬間、思ったんですよね。
ヴォルフとゼロは臣くんと太一の関係性ありきですが、そんな二人の関係性を作り出しているのは成弥さんと遼太郎くんだし。このあたりは言葉にするのが難しい…というかあまり言葉にしないでおきたい部分ですが、いろんな映像や記事を思い出して、勝手にエモい気持ちになりました。
茂木ちゃんに関して、わたしとしては推しが演じている推しが推しを演じているというたいへんおもしろくて最高な状況だということも、この三重構造の現れです。

思い入れの強い公演だけに感じやすかったのですが、エーステのそういう部分がわたしの嗜好に突き刺さって大好きだし、それを顕著に浴びることができたのが秋単独だったな、と思います。

▼集合写真【秋組】

原作で唯一全員集合のスチルがない秋組。そうそう群れない彼らだからなの…?そういうことなの…?とすら思っていました。
だから、集合写真、正直ものすごく期待してたよね。で、実際に見て。すごくすごくよかった。あまりにも感慨深い。
秋単独の写真の演出、ほんとうにずるいんですよね。いい写真だったな。
あ~~…ほんと。いい写真でした。余計な言葉はいらないね。だいすきです。

2.5次元舞台って原作では見えない部分が可視化されることが魅力ですが、今回の単独公演で秋組の日常的な姿や"彼らの関係性、五人が五人である光景とそこに漂うエモさをこの目で見ることができました。そうしたら、ひたすらにエモくてしんどかった。
秋組ってみんなで仲良く輪になろうっていうチームではなく、一人一人が彼ら自身の道を歩み生きているんですよね。でもその行く先は同じ光で、秋組という居場所があるからこそ、彼らは彼らでいられる。そんな居場所だからこそ、背中を預けて熱く闘い続けることができる。秋組の熱は五人が五人であるからこそ燃え滾ることができる。
そして、わりと言葉が足りてなくて不器用な部分も目立つんだけど、そんな中で必死にもがいてぶつかり合おうとする。
秋単独で描かれたのはそういう部分でした。

秋組と言えば"エモさ"なんですが、今回の秋単独が"エモーション"を全面に押し出してくるから何も言えなくなっちゃった……秋組はエモい。まちがいないね。はーー…どんどん言葉が見当たらなくなってくる。もうあの2時間40分がすべて!とりあえず観て!浴びて!しか言えなくなりそうです(笑)

▼ハードモード【摂津万里】

万里くんが17歳の人間なんだなということを思い出させてくれた秋単独。不器用な子だなって、いとおしくなりました。
秋単独で描かれた摂津万里って、彼のかっこよさとそこに至るまでのあぜ道だと思います。

キャラソンを改めて聴いているのですが、万里の「スーパーウルトライージーモード」はほんとうに隙がない。秋組の中で唯一、一切の弱みを見せない。原作の万里くんもそういう面がつよい。お芝居ってハードモード!ということはちょいちょい言っていますが、基本的にかっこよさばかりを見せてくるんですよね。もがいている姿なんてほとんど見せてくれない。しいて言うなら第六回公演「FallenBlood」のイベストで万里が自分のお芝居に足りないと思っているところが語られたときは彼の苦悩が垣間見えてしんどかったですが、やはり本人の口から直接は語られない。
摂津万里という男は、とにかく魅せるヤツなんです。彼が表現するものはいつだって完璧で仕上がっている。
水江万里くんはやたら髪をいじる癖がありますが、あれって見え方を気にしてのものかなと思っています。整えるような仕草なので。見てくれを気にするんだろうなーって思います。それがまた万里が魅せ方にこだわる役者だということを思い起こします。
ルチアーノ、ドム様、茂木ちゃん。カテコでのお辞儀の仕方がそれぞれ役に沿っているのも魅せる役者だという現れですよね。わたしの好きなタイプの役者だな……
それと今回で言うと、曲の終わりにセンターの扉からピースしてハケたり背を向けてふらりと手を降ってハケたり。あれ超かっこよくて大好き。みんな大好きだよね?!あのハケ方をする万里くん、満開カンパニーの秋組リーダーの摂津万里なんですよね。完璧に魅せてきてる。秋組のプロモーションビデオかな?ってレベル。
劇中劇なんてほんっっとひたすらかっこいいし。でもそれだけではなく、基本的に万里の言動や立ち振舞い、仕草ってかっこいい!の一言に尽きる。ゲネ会見で建太くんは万里のことを圧倒的なかっこよさが魅力だと言っていましたが、それはそうなんですよね。わたしはおたくだからその向こう側にあるものを見ちゃうんですが。というか建太くんがそれ言っちゃうのほんと万里…ってなりますね。万里の不器用さやもがく姿をきっちり見せてくれているのはその建太くんなのに。やっぱりそこなんだ…みたいな(笑)

そんなハイパーかっこいい万里くん、人生スーパーイージーモードの万里くん。もがいていた。悩んで迷って、もがいていた。
イージーな万里が単独公演で夏組リーダーの天馬とどう接するのかとずっと考えていました。そんなに悩むところ見せる人じゃないし、なんだってイージーな彼だから。
でも実際はとてもハードモードでした。それがすとんと腑に落ちた。原作で見られるのはイージーモードな面がほとんどだけれど、実際はいろいろハードなことが多かったと思う。秋単独はそこを"切り抜いて"くれたんだなあ、と。
「リーダーなのに」がすごく印象に残っている。どうしようもなく悩んでる17歳の声そのもので、とても湿っぽくて生々しかった。あのぽつりと吐き出される声に摂津万里がまだ高校生だということ、なんなら人間だということを思い出しました。だいぶひどい書き方ですね。万里ってずっと灰色の人生を歩んできて、十座に出会って、秋組に出会って、人と密接に関わるようになった。世界が色づいて、まもない。言葉を選ばずに言えば赤ちゃんなんです。そのことを思い知らされました。天馬に心のうちをこぼすシーンは、とくに。

万里が臣くんに話をしに行くシーン、だいぶ響きました。原作にもあるシーンでセリフはそのままでしたが、とにかく深く解釈されていた。万里の成長を示す場面としての役割が原作からありますが、そこに情が乗るから、生ならではの肌に感じるエモさがあるから、たいへんしんどくて泣けるシーンに仕上がっていたのかなと思います。あのシーン、最初から最後まで好きだったな。超よかった。

そしてアクションを起こすときの瞬発力にはやはり秋組リーダーとしてのカリスマ性を感じます。左京さん退団騒動で、劇団員全員集めるって言い出したとき、ちょっとびっくりした。でも太一の言う通り「万チャン、最高ッス!」なんだよね。ほんとうにこれです。

万里にとってはハードモードな日々が刺激的だろうし、溺れそうになりながら、もがきながらも、それが彼の幸福なんじゃないかなあ。
だって万里のイージーモードって"退屈で無味乾燥な日常"なんですよね。だからハードモードでいられるお芝居の世界、秋組という場所は彼にとってかけがえのないものだと思います。人生を色づかせてくれた鮮やかな居場所。万里にとっての秋組って、万里が○○であれる場所という枠にはおさまりきらないだろうな。その結果として満開に咲き誇る輝きが彼の圧倒的なかっこよさとしてギラギラと光っている。やっぱりわたしの推し、世界一きらめいているよ。

▼"居場所"【摂津万里】

「ここが俺の居場所」

泣いた。毎回ここで泣いてる。震える。情緒が狂う。そんな状態でスパエモを浴びせられるんですよ、しんどすぎるでしょ。
その言葉の色が、声が、ものすごく透き通っていて澄んでいてきれいだから。

お芝居って哲学で相変わらず正解が分からないなと観客として思うのですが、ちょっとだけ考えてみます。嘘のない芝居だとか、芝居は虚構だとかよく言われる。だから分からなくなる。正直わたしには演技と芝居の違いもまだよく分からない。でも、分かるときは分かるもの。心を揺さぶられるお芝居って、つまりそういうことじゃないですか。人の心を動かしてこそ芝居はまぎれもなく事実になる。そこにある人間、人間たちの交わり、感情。つくられたものであることに違いはないのに、事実=本物だなあって思う。
心の底から発せられる言葉って分かるんですよね。嘘のない言葉、濁りのない言葉。今回、万里くんの「ここが俺の居場所」という言葉が持つパワーはすごかった。だってあんなにも"本心"がわたしたちの心に、刺さる…というよりまるで包み込むようなやさしさで響いてくるのだから。
それで情緒が狂い死んでいるわたしは果たして万里くんを推している身としてなのか建太くんを推している身としてなのか分かりませんでした。たぶん、どっちもかな。この言葉に感慨深くなるのはエーステの摂津万里に限った話ではなくもともと原作の万里のことを思うからなんですが、でも建太くんの声を通してじゃなきゃここまで刺さらなかったよなあ…と。原作でずっと万里くんの未来を祈るような推し方をしてきたから刺さるのだというのに、思い出すスタート地点は3年前のリリースではなくて1年前の秋冬公演なんですよね。不思議だな。

初見時の破壊力はほんとうにすごかったし、何度観てもやっぱりラストシーンで身構えるし泣くし震える。初見時と2回目以降でだいぶ見方が変わりました。あの言葉を踏まえて観ると、いろんな表情が目につく。冒頭の写真を選ぶシーンでいとおしそうに笑う瞬間がある。ほんのちょっと口角が上がるだけなんだけど。ああ、きっとしあわせなんだろうなって思っちゃって。エーステの万里ってみんなのことを遠くから見ていることがけっこう多い。そういう時の表情にいちいち感じるものがある。生きてるんだよね、ほんとうに。

あとやっぱり、「めんどくせ」っていうの、超いいよね。良。スパエモの「みんなでまた写真でも撮ろう」のときの「めんどくせ」もすごくいい。ここほんっっっとうにいい表情していて、いとおしさでいっぱいで、なんかもうすぐに泣いてしまう。こんなに泣きながらスパエモ浴びることになるなんて、思いもしなかった。

秋単独のお芝居すべてが「ここが俺の居場所」という言葉に繋がっている気すらします。この言葉のために今回の万里くんのお芝居があるんじゃないかって。
単独公演でリーダーは主演も準主演もないから今回もどんなふうに描かれるのだろうかと考えていました。 
万里自身の在り方というより、万里にとって秋組がどんな存在かについて描かれたことがなんだか嬉しかった。感慨深かった。それも建太くんの声を通して肌で感じることができて。
万里にとって秋組がかけがえのない居場所だということをこんなにも身に沁みて感じることができて、秋単独をたくさん浴びることができてよかったなあと思います。残り少ない観劇を大切にしようと思います。ほんとうに一瞬で終わりそうでとてもかなしいですが、だからこそ、その一瞬を大事に浴びて噛み締めたい。

そういえば100公演目の時に通路席で真横を万里が通ったのですが、万里からキンモクセイの香りがふわっとしたんですよね。お花の匂いがうつったとかいうレベルではない。周りも沸いてたからまちがいないです。香りの残り方が香水のそれだったんですよ。万里がキンモクセイの香りをまとっているの、あまりにもエモくてその場で泣いてしまうかと思いました。それこそ「ここが俺の居場所」という言葉を思い出して。キンモクセイの香りって秋組そのものなんですよね。秋組という場所の香り。それを万里がまとっているの、かなりヤバいなって。万里にとっての秋組の存在の大きさを感じるというか。あーー…ぜんっっぜんうまく言葉にできない。キンモクセイの香りをまとう万里くんについて考えていたら夜が明けそう。

▼推しの話

万里として生きてくれてありがとう。そんな気持ちでいっぱい。エーステで出会えてよかった!
一番最初の「これは俺たち5人がぶつかり合い、成長する物語」というセリフを聞いた途端にウワ…!!となりました。今まで見てきた万里くんと全然違うんだもの。静かに、つよく、燃え滾る。そんな表現に惹き込まれました。
いい意味で落ち着いたなあって思いました。若手独特の荒削りさ(それはそれで好きなやつ)がだいぶ落ち着いてきているな、と。それでいて内側から滾る熱が伝わってくる。相変わらずとんでもない成長速度にびっくりさせられます。
そしてやっぱり世界一輝いてる!きらめいているよ。センターで踊っているときなんてとくに、圧倒的なきらめき。目が眩みそうになる。
Brand new worldのラスト、一人でセンター扉にハケていくときにマイクオフで「おつー」って言いながらピースしてる姿、よすぎる。摂津万里すぎる。あと最後の背中越しにふらりと手を振ってハケるところ。よすぎる。秋組リーダーの摂津万里くんってこういう役者なんだよ、これが彼のいる秋組なんだよっていう。悩んだりもがいたりしながらも彼はきっちり魅せてくる。しかも絶妙なゆるさがあるところがまた彼らしさであり魅力なんですよね。モテの秘訣は抜け感って言うじゃないですか(言わない)。あんなのめちゃめちゃに好きじゃないですか?は〜〜〜っすき!すきだ〜〜!って気分!さっきも書いたけれどよすぎてまた書いちゃいました。だってこれを演ってる建太くんが好きなんですもん。
このエーステの万里くんのピース、建太くんが(万里じゃなくても)よくやる指くいピースそのものだから見るたびに沸く。キャラに役者の地が出てくるのが好きなんですよね。万里にすごくいい形で作用している。
建太くんに関しては万里とのつよい重なりを感じます。しつこいほど話す「リンク性」がとっても強い。どんどん万里になっていくというのもあるけれど、どちらともなく近づいてどんどん融合してきている、とわたしは言いたいです。
建太くんのお芝居は観るのがとても楽しい。
表情のうごき、目の色…そういうもののわずかな揺れを目で追いかけるのが好き。その瞬間を生きている感じがして。たとえば冒頭のプロフ写真を選ぶシーンではあーーこの場所が好きなんだろうなー…というようなわずかな微笑みを見せたり(ほんとうにわずか!)、リョウが現れて臣くんに話しかけているのを最初はあやしみつつ様子を伺っているだけだったのが突っかかった瞬間に目の色がぎらっと睨みつけて警戒するようなそれに変わったり。定点カメラでなきゃ分からないレベルの表情の変化がすごくおもしろい。しかも毎回新鮮な気持ちで観れるんですよね。微々たる変化もやっていることはほとんど同じなのに。それって同じのように見えてもその時にしかない生の瞬間だからかな。ほんとうに、楽しいなって思います。
それに、なんたって宇宙一かがやいている!あのきらめきのパワー、なんなのだろう。すごい。なにより楽しそうなのが伝わってくるんですよね。板の上で楽しそうに生きている姿にしあわせをもらいます。

あとやっぱり歌声が好きだな。推してる理由の大きな部分です。
それも"万里として"の歌がすごくよくなっていた。好きに好きが重なってすぐに沸いてしまう。好きだ~~!!

ここでぶるすま「続くよ」パートの話をしちゃいます。万里推しとしては「続くよ」を歌ってくれたことがほんとうにうれしかった。けれどなんで万里?と不思議なところはあって。春、夏と規則性はさっぱり分からないもののリーダーはないだろうと思っていたから。
パンフのPV撮影レポートで建太くんの歌についてコメントされていて、読んで、うれしくなりました。そして「続くよ」が万里である理由がちょっとだけ分かった気がします。120%贔屓目なんですけど。聞き惚れる歌声、なんですよね。魅了される。そういうものを持っている。カリスマ性、みたいな。秋組の「続くよ」は万里だよね。秋組リーダー摂津万里として、彼が「続くよ」を歌うのは適任だなと思います。
…とかなんとか考えるけれど、遠くを指差す振りを思うとすとんと腑に落ちません?ぶるすま秋の「続くよ」は万里しかいなかったなって。

万里くんを演じてくれたのが建太くんでよかったっていったい何度思ったことか、もはや数え切れませんが、ゲネ会見を思い出してもまたそんな気持ちが沸いてきます。
圧倒的なかっこよさが魅力だと言ってくれるから舞台上でスポットライトを浴びる摂津万里くんが満開に咲いてきらめいていられる。一番輝いているよ。

そしておめでとう、100公演目
1/25夜公演で100公演目でした。わたしが観た中でいちばんよかった!ほんとうによかった。
幕が上がった瞬間から100公演目を感じて情緒がおかしくなるほど。きらめきの量がすごくて泣いちゃうかと思いました。
あの2時間40分、わたしの心に色鮮やかに刻みつけられた。かけがえのない時間だったなあと思います。
そしてカテコでおめでとう!って叫べて、ほんとうにしあわせでした。まさかそんな機会があるなんてまったく思っていなくて。
「んじゃ、今日はー…俺」の顔好きだったな。100公演の顔してた(?)
「みんな、今日何の日か知ってる?」
「そう、俺今日でエーステ100回目なの」
「何か言ってもらおうかな」
って、鮮明に覚えてる。
あの場を設けてくれてありがとうエーステ。沸きっぱなしでした。
この人が100公演目を迎えるってなんだかちょっと特別だよね。推しだから贔屓目なんですが。んーーなんと言えばいいのだろう。観客含めエーステに関わっているみんなが見守っているみたいな一面はあるだろうなって思う。
とにかく、愛されてる〜〜〜!!って思っちゃって、しあわせでした。あの空間に立ち会えてよかった。


ファンは推しの鑑って言葉が思い浮かびました。
やさしくてあたたかいのはあなただよ。
て〜かわたしたちの方が大好きなんだからなーーー!惚気です!!(?)

この人のファンは幸せだろうな、と他の俳優に対して思ったことがある。それはもう何度も。推しててよかった!という深い気持ちになっている人を見てはほんの少し羨ましく思うことも。
だからって推しを推すことをやめる気はさらさらないし一番好きなの。(めんどくさいオタク!オタクあるある!)
まあでも歴が浅いし。いつかそんな日が来るのかな〜ってまだ遠くにありそうな未来を見ていた。現状、じゅうぶんにはぴはぴだし。

でも、秋単独、推しの100公演目。
心の底から幸せがあふれかえったし、この人を推しててよかった〜!推すって決めてよかった!って気持ちにさせられた。
終演後すぐ、東京まで来てよかった〜!って叫んだもん。いつも考えなしにホイホイ東京に行ってるんだけどね(笑)
幸せいっぱいなのはいつものことなんですが、格別だったのです。
具体的なエピソード、理由があるわけではないのに。
夜、ツイートを見て。この人のファンは幸せだろうなって思われている自信がどうしてかあった。

そういえばカテコ挨拶の最後で「大好きだから」って言ったのがあんまりにも透き通っていて、なんだろう、こんなに純粋な言葉ってあるのかってくらいまっすぐに刺さる。
わたしも大好きだよ〜〜〜!!!って全力で思った!

幸せだね。

こんなに幸せでいいのかな?
わたしはどうやら幸運体質のようで、秋単独で初めて自名義が当選したしなんやかんや予定以上の数入れることになったしどれも良席!(自慢です)それだけでなく秋単で出会った方はみんなみんなやさしくて、ほんとうに楽しい時間を過ごせた東京公演でした。

努力してる、徳を積んでる。…よく言われる。そうかもな〜とも思う。でもそんな自覚はない。どうしてかって、何もせずに幸せは得られないけれど幸せを得るために動いているわけではないの。
昔から頑固なところはあって、ほしいもののためなら諦めが悪いんです。好きだーーー!というエネルギーが幸運体質につながってるのかな。

秋単独の感想文なのにわたしがしあわせだ!という話になってしまった。しあわせだったからね!仕方ないね!

エーステで建太くんに出会って、わたしは今と〜〜ってもしあわせです!!

最後に見比べてみましょう。


か、完全に一致…?

▼秋単独東京公演を経て

通りすがりのジャンルではなく、自分の中で大きなウェイトを占める作品。それがエースリー、わたしの大好きな世界。一番好きな組は秋組、推しは摂津万里くん。
だから思い入れがすこぶる強かった秋組単独公演。それにしたって、推しの単独公演、思っていた以上に情緒が狂う。こんなにすごいんだね…………冬組推しのみんな!覚悟してね!

舞台の熱量は画面の向こうにしかなかった世界を生々しく存在させ、解釈を何百倍もの深さにする。
大好きな秋組はそこに存在すると「エモい」なんて一言ではとても表現できないほどの膨大な熱を孕んだエモーションに満ちあふれていました。
字数がとんでもないことになった感想文だけれど、これでも書ききれなかったことがあるしまだまだ考え抜きたいことがたくさんあります。
久しぶりにこんなに長い文章を書きました。書けば書くほど思い出される鮮やかな記憶たち。
どこを切り取っても大好きだし考えさせられる。秋単独は最高だ!彼らの灰色だった世界が鮮やかに色づく様にわたしたちは涙し、そこから生まれるきらきらした熱に息を呑む。また彼らに会いに行ける幸せを噛み締めて。

せっかくなのでましゅまろ。
marshmallow-qa.com

この記事でいったん一区切りついたのでしばらくはTwitterでもだらだら考えたり叫んだりします。
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